恋人がいないと言うと、こう思われることがある。
「本当は欲しいけど、できないだけでしょ?」
特に男性の場合、「弱者男性」という言葉とセットで語られることもある。
だが私は、恋人ができないのではない。
作らないと決めている。
これは言い訳ではなく、生活設計の結果だ。
なお、「恋愛をしないことで得たメリット」については別記事で書いている▼

恋愛を否定しているわけではない
誤解を避けるために、最初に明確にしておく。
- 恋愛を否定していない
- 恋人がいる人を否定していない
- 結婚を否定していない
ただ、私の優先順位に入っていないだけである。
正解・不正解という話ではない。
単に「私にとっての最適解」という話だ。
私が恋人を作らないと決めている理由
理由1:金銭的合理性を見出せない
私は普段から、固定費を軽くする生活を好んでいる。
生活の変数が少ないほど、精神は安定する。
だが、恋愛にはどうしても継続的な支出が発生するものだ。
- デート代
- プレゼント代
- 旅行やイベント費
- 外食費
- なんとなく増える雑費
否定はしない。
必要とする人もいるだろう。
しかし私は、
永続が保証されない関係に対して、継続的コストを払い続ける合理性
を見出せなかった。
「コスパが悪い」と言えば角が立つかもしれない。
だが少なくとも、私の価値観とは合わない。
それだけである。
理由2:時間の投資効率が低いと感じる
私にとって、お金よりも重要なのは時間である。
恋愛は、時間を使う。
- 関係を築く時間
- 連絡を取る時間
- 会う時間
- 維持する時間
そして人間関係は、努力とは別の要因で終わることもある。
ちょっとしたことでケンカが始まり、深い溝が生まれ、そのまま別れるなんてことも珍しくないだろう。
私は、「積み上がるもの」に時間を使いたいのだ。
- 思考
- 基盤
- スキル
- 生活の安定
恋愛が悪いとは言わない。
しかし、相手の気分次第で変化が生じるものに、時間を費やす気にはなれない。
私の目に恋愛は、「魅力的な投資対象として映っていない」のである。
理由3:好感度を常に意識する構造に無理を感じる
恋愛では、関係を良好に保つための配慮が必要になる。
- 記念日を覚える
- 相手を気遣う
- 相手の機嫌や気持ちに目を向ける
- ときにサプライズや演出を考える
それ自体は、とても尊い行為だ。
自然に楽しめる人もいるし、むしろそれを喜びと感じる人も多い。
ただ、私はそこに強い価値を置いていない。
常に他者の期待や視点を意識し続ける状態よりも、「自分のリズムで落ち着いて過ごせる環境」の方が、性に合っている。
自然体でいられない関係を無理に維持するよりも、「自分に合う距離感を選ぶ方が合理的」だと考えている。
これは優劣の話ではなく、適性の話である。
恋愛をしないという選択には、「自分の心の状態を安定させやすい」という側面があるのだ。
理由4:人間関係を広げたいと思わない
恋人ができると、その人との関係だけで完結しないことが多い。
- 友人との交流
- 家族との関わり
- 職場や周囲との調整
- 将来に向けた人間関係の広がり
世界が広がる、と言えば前向きに聞こえる。
実際、それを魅力に感じる人も多い。
ただ私は、人間関係を増やすことそのものを目的にしていない。
私が重視しているのは、関係の「量」ではなく「質」と「安定」だ。
関わる人数が増えるほど、時間や気遣い、調整の要素は自然と増える。
その負担を避けたいというより、最初から「自分に合う構造を選びたい」という感覚に近い。
私は、刺激の多い環境よりも、落ち着いたリズムで完結する生活を好む。
私は自分に適した生活を構築するために、
人間関係を拡張させるよりも、圧縮することを選んでいるのだ。
圧縮した生活はとても孤独である。
しかし、私は孤独になったことで幸せな生活を送れている▼
➡関連記事:孤独こそが最も幸せになれる理由
理由5:1人で成立する生活に不安がない
生活に必要なことは、基本的に自分でこなせる。
- 炊事
- 洗濯
- 掃除
- 家計管理
日常生活で困っていることは特にない。
もちろん、完全に孤独感がないと言い切るつもりもない。
人間である以上、ふとした瞬間に寂しさを感じることはある。
それでも、全体として見たときの満足度は高い。
私は、「誰かがいなければ生活が回らない状態」を前提にしたくない。
自分の力で生活が成立しているという感覚は、精神的にも安定につながる。
恋愛をしないという選択は、「依存ではなく自立を基盤にした生き方」である。
「恋愛できないだけだろう」と言われることについて
恋人がいない男性に対して、こんな評価が下されることがある。
「本当は欲しいけれど、できないだけだろう」
ずいぶんと便利な解釈だと思う。
本人に確認する必要もなく、
事情を想像する手間もなく、
ただ「能力不足」という枠に入れておけば話が終わる。
そう考える人がいること自体は否定しない。
ただ、私がその「短絡的な推測に合わせて人生設計を変更する理由」もない。
外から見えるのは結果だけだ。
だが私は、選択基準で生きている。
- 欲しいのに手に入らないのか
- そもそも優先順位に入れていないのか
その区別をしないまま語るのは自由だ。
だが、私の生活は自由ではない。
私が決めている。
説明もしない。
証明もしない。
誤解されたままでも困らないからである。
恋愛しない生き方は逃げではない
恋愛をしないことを、敗北や撤退のように語る人がいる。
だが、参加していない競技に順位はつかない。
競争に身を置いていない人間を、「負け」と定義すること自体が、すでに一つの価値観である。
少なくとも私にとって、これは回避ではない。
選択である。
人生は、すべてを取るゲームではない。
何を持つかよりも、何を持たないかを決めることの方が、その人をよく表す。
選ばなかったものがあるという事実と、失ったという評価は同じではないのだ。
欲しなかったものを所有していないだけ。
それを欠落と見るか、設計と見るか。
私は後者を選んでいる。
まとめ:これは主張ではなく、選択である
私は恋人を作らないと決めている。
それは、誰かに反発しているからでも、何かを証明したいからでもない。
ただ、自分の価値観と照らし合わせた結果である。
強がりでもなければ、負け惜しみでもない。
「強がる必要がない状態」を選んでいるだけだ。
恋愛を選ぶ人もいる。
恋愛を選ばない人もいる。
どちらが上か、という話ではない。
重要なのは、「その選択が自分の基準に基づいているか」である。
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