「手取り20万の非正規で生活はできるのか?」
世間では「厳しい」「将来が不安」と言われがちなラインだが、
実際のところはどうなのだろうか。
この記事では、手取り20万・非正規雇用で暮らす私の1日をもとに、
弱者男性のリアルな生活と、それが成立している理由を具体的に解説する。
結論から言えば、
低収入でも生活は成立する。
問題は収入ではなく「生活設計」にある。
実際、私の生活費は月13〜14万円ほどで収まっており、
特別な節約をしている感覚もなく、静かで安定した日常を送れている。
もちろん、この生き方は万人向けではない。
だが、
- 生活が苦しい
- 将来が不安
- このままでいいのか分からない
そう感じている人にとっては、
「別の選択肢」として参考になるはずだ。
華やかさはないが、壊れにくく、再現性のある生活。
そのリアルを、包み隠さず書いていく。
弱者男性のリアルな1日|この記事で伝えたいこと
手取り20万の非正規という条件は、
世間一般では「厳しい」「将来が不安」と語られることが多い。
実際、SNSやネット上では
- 「その収入では生活できない」
- 「結婚も無理」
- 「詰んでいる」
といった意見もよく見かける。
しかし、それは本当に“事実”なのだろうか。
結論から言えば、
生活は普通に成立する。
少なくとも私は、手取り20万・非正規という条件でも、
- 毎日ご飯を食べて
- そこそこ健康に過ごし
- 趣味の時間も確保しながら
特に大きな不満もなく生活できている。
もちろん、これは「楽な人生」という意味ではない。
労働は普通に面倒くさいし、将来への不安がゼロというわけでもない。
ただし、
「生きていけないほど苦しい生活か?」と聞かれれば、答えはNOである。
ではなぜ、この条件でも生活が成立しているのか。
それは単純に「収入が足りているから」ではなく、
生活の設計が収入に合っているからだ。
この記事では、
- 弱者男性のリアルな1日の流れ
- 手取り20万でも生活が回る理由
- 労働や幸福に対する考え方
この3つを軸に、「実際どうなのか」を具体的に書いていく。
手取り20万・非正規でも生活できる理由
では、なぜ手取り20万・非正規という条件でも生活が成立しているのか。
結論から言えば、理由はシンプルで、
生活コストが低いからである。
私の場合、母と2人暮らしで、
家賃・光熱費・通信費・食費・雑費などを含めた生活費は、
月13〜14万円ほどで収まっている。
この時点で、すでに多くの人が想像しているよりもかなり低い水準だと思う。
ではなぜ、ここまで生活コストを抑えられているのか。
ポイントはいくつかあるが、特別な節約術を使っているわけではない。
むしろ逆で、
自分の性格や価値観に従って生活した結果、
こうなったというほうが正確だ。
たとえば、
- 友人や恋人がいないため、交際費が一切かからない
- 物欲がほとんどなく、買い物の頻度が極端に少ない
- 私も母も料理が得意で、外食をほぼしない
- コンビニや自販機など、定価販売のものを買わない
- 趣味が低コスト、もしくは収益につながる(ブログ・創作など)
といった生活になっている。
こうして見ると「節約しているように見える」かもしれないが、
本人としては節約しているという感覚はほとんどない。
ただ、自分に合わないことをやっていないだけである。
- 人と無理に関わらない
- 無駄にモノを増やさない
- 競争に参加しない
こういった生き方を選んだ結果、自然と支出が減っていった。
また、生活が破綻する可能性についても考えてみたが、
現状ではそこまで大きなリスクは感じていない。
もちろん、大病などで働けなくなれば話は別だが、
それを除けば、極端に高い収入でなくても生活は回る構造になっている。
実際、貯金も生活費の7〜8ヶ月分は確保しているため、
仮に一時的に収入が途絶えても、すぐに困ることはない。
ここで重要なのは、
「収入を上げる」ことよりも、
「生活を設計する」ことのほうが現実的であるという点だ。
収入を上げるには、
- スキルアップ
- 転職
- 長時間労働
など、ある程度の負荷がかかる。
一方で、生活設計は一度見直してしまえば、
それ以降は大きな労力をかけずに効果が続く。
私自身、「支出を抑えよう」と強く意識したことはほとんどない。
ただ、
働くのが嫌だから、できるだけ労働時間を減らしたい
という前提で生活を組み立てた結果、今のような形に落ち着いた。
つまりこれは「節約術」ではなく、
生活スタイルそのものの問題である。
そしてこの点は、意外と多くの人が見落としている部分でもある。
朝のルーティン|低コストでも満足度は上げられる
平日の朝は、だいたい6時半ごろにスマホのアラームで目が覚める。
とはいえ、すぐに起き上がれるわけもなく、
布団の中でモゾモゾしながら、結局は7時前後に起きることが多い。
ここから、淡々と出勤の準備が始まる。
トイレを済ませ、歯を磨きながら台所へ向かうと、
前日の夜に母が作ってくれたスープが置いてある。
このスープは、私の生活においてかなり重要な役割を持っている。
理由はシンプルで、
- 手間がかからない
- 栄養が取りやすい
- 温かいものを食べることで満足度が上がる
という、コストパフォーマンスの高さにある。
スープという料理は、極端な話、
適当に具材を入れて煮込めばそれなりに成立する。
それでいて、野菜もタンパク質もまとめて摂取できるため、
安さと健康を両立できる手段として非常に優秀だ。
さらに現在は、昼食として
自家製のトルティーヤを持っていくスタイルにしている。
休日にまとめて20枚ほど作って冷凍しておき、
朝に鶏むね肉やキャベツ、ゆで卵、さば缶などを挟んで持っていくだけ。
この方法にしてから、
- 腹持ちが良くなった
- 栄養バランスが改善された
- 食費がさらに安定した
といったメリットを感じている。
食事において私が最も重視しているのは「安さ」であり、
その次に「健康」である。
高級な食事や外食はほとんど必要としておらず、
低コストでも満足できる形を作ることのほうが重要だと思っている。
また、朝という時間は
「これから労働が始まる」という現実と向き合う時間でもある。
正直に言えば、気分は重い。
だからこそ、少しでも気分を上げるために、
- お気に入りのマグカップ(サーモス)でコーヒーを飲む
- マシュマロトーストのような甘いものを食べる
- シナモンの香りでリラックスする
といった、小さな工夫を入れている。
コストをかけずに「気分」を上げることはできる
これは意外と見落とされがちなポイントだと思う。
生活の満足度は、必ずしもお金の量で決まるわけではない。
むしろ、
限られた条件の中で、どう満足度を引き上げるか
のほうが重要であり、再現性も高い。
こうして、最低限の準備と小さな工夫を終えたあと、
重たい身体に無理やり制服を着せて、職場へと向かう。
労働との向き合い方|嫌いでも続けられる理由
働きたくないが、働かないのもつらい
私は基本的に、働くことが好きではない。
できることなら働きたくないし、労働は面倒くさいものだと思っている。
この感覚は今でも変わらない。
ただ、その一方で「働かない」という選択も、
私にとっては楽なものではなかった。
私は20歳から30歳までの約10年間、ほぼニートのような状態を経験している。
この時期に強く感じたのは、
- 何も生み出していないという無力感
- 社会から切り離されているような孤立感
- 先が見えないことによる不安や絶望感
といった、精神的な負荷だった。
人によっては「働かなくていいのは楽」と感じるかもしれないが、
少なくとも私にとっては違った。
むしろ、希死念慮が強くなりやすい、不安定な状態だったと思う。
だから今の私は、
「働きたくない。でも、働かないのもつらい」
という矛盾した感覚の中で生きている。
この中間地点として、
「無理をしすぎない範囲で働く」という形が、現実的な落としどころになっているのだ。
今の仕事が続いている理由|好き×得意のバランス
それでも現在の仕事が続いているのは、業務内容が自分に合っているからだと思う。
どれだけ労働そのものが嫌でも、
「内容まで苦手な仕事」は長く続かない。
逆に、
- 少しでも興味がある
- ある程度得意である
この2つが揃っているだけで、負担はかなり変わる。
私の場合は、今の仕事が「好き寄り」であり
「得意な分野」でもあるため、嫌々ながらも続けられている。
労働を好きになる必要はないが、
“耐えられる条件”を満たしているかどうかは重要だ。
非正規という働き方は不安定なのか
非正規雇用というと、
「不安定」「将来が不安」といったイメージを持たれることが多い。
実際、それは間違いではない。
ただ、個人的には少し違う捉え方をしている。
それは、
「生活をどう設計しているか」で安定度は変わるという考え方だ。
生活コストを把握し、
自分に必要な最低限の支出が分かっていれば、
必ずしも高収入である必要はない。
むしろ私にとっては、
非正規は“不安定”というより、“フットワークが軽い”働き方
という感覚のほうが近い。
- 合わなければ環境を変えやすい
- メンタルや体調に応じて調整しやすい
- 会社に過度に縛られにくい
こういった柔軟さは、私のような性格には合っている。
「安定=正社員」という考え方もあるが、
自分に合わない形での安定は、別の意味では不安定とも言えるだろう。
仕事にやりがいは求めないが、ゲーム性は求める
私は仕事に対して、
「やりがい」や「社会的意義」を強く求めてはいない。
もちろん、それを感じられる人はそれでいいと思うが、自分にはあまり必要な要素ではない。
その代わりに求めているのが、ゲーム性である。
たとえば、
- どうすれば効率よく作業を終えられるか
- 無駄を減らすにはどの順番で動くべきか
- 限られた時間の中でどこまで処理できるか
こういったことを考えるのは、パズルゲームやタイムアタックに近い感覚がある。
この視点を持ち込むことで、
単なる「やらされ仕事」を、自分なりに処理する対象へと変えることができる。
労働そのものを好きになる必要はない。
ただ、少しでもストレスを減らし、継続できる形に調整することはできる。
私にとっての働き方は、
意味を見出すことではなく、
「壊れないように調整すること」に近いのかもしれない。
壊れないための働き方|頑張らないという選択
働き続けるうえで、私が一番意識しているのはこれだ。
「頑張ること」よりも「壊れないこと」を優先する
世の中ではよく、
「努力」「根性」「やり切る力」といったものが評価される。
もちろん、それができる人はすごいと思う。
ただ、少なくとも私のようなタイプの人間にとっては、
そのやり方は長く続かない。
無理をすればするほど、どこかで反動が来て、結果的に動けなくなる。
だからこそ最初から、
「無理をしない前提」で働く
というスタンスを取っている。
仕事中も、常に全力で集中しているわけではない。
むしろ意識的に、小さなガス抜きを挟んでいる。
たとえば、
- 少し手を止めて頭を休ませる
- お菓子や飲み物で気分転換する
- 誰にも見られない場所で軽く身体を動かす
といった、ちょっとした行動だ。
人間の集中力は長時間持続するものではないし、
現実の労働環境はそれを考慮してくれないことが多い。
だからこそ、
自分で自分のペースを調整するしかない。
これをサボりと呼ぶ人もいるかもしれない。
だが私にとっては、
「長く働き続けるための調整」であり、必要な行動だと思っている。
また、私の場合、ストレスの大部分は「人間関係」から来る。
仕事そのものよりも、
- 他人とのコミュニケーション
- 気遣い
- 空気を読むこと
こういった要素のほうが圧倒的に負担が大きい。
だからこそ、意識的に距離を取り、
自分の精神を守ることを優先するようにしている。
無理に人に合わせたり、過剰に気を遣ったりすると、後で確実に疲弊する。
その結果、仕事どころではなくなる。
私の中での基本方針はシンプルだ。
- 無理をしない
- 調子に乗らない
- 壊れない
この3つを守ること。
「今日は頑張れそうだな」と思う日は少しだけ頑張ることもあるが、
それを基準にはしない。
あくまでベースは、
“最低限を安定して続ける”ことに置いている。
多くの人は、「頑張ること」を前提に働いている。
しかしその結果、
- 疲弊して動けなくなる
- 仕事が続かなくなる
- メンタルを崩す
といった状態に陥るケースも少なくない。
それなら最初から、
頑張らない前提で、壊れないように設計したほうがいい
というのが、私の考え方だ。
これは決して「怠ける」という意味ではない。
長期的に見て、一番効率のいい働き方をしているだけである。
夜の過ごし方|好きなことをやるから生活が持つ
仕事を終えて帰宅し、母と夕飯を食べたあとの時間は、
私にとってかなり重要な時間である。
なぜなら、この時間があるからこそ、
日中の労働に耐えられている部分が大きいからだ。
もし仕事から帰ってきて、風呂に入って、
寝るだけの生活になってしまったら、おそらくかなり早い段階で心が摩耗すると思う。
体感としては、「仕事→睡眠→仕事」だけの生活になると、人生が一気に作業化する。
そうなると、疲労そのものよりも
「何のために生きているのか分からない感覚」が強くなってしまう。
だから私は、どれだけ短くても、
必ず自分のための時間を取るようにしている。
これは贅沢ではなく、
生活を維持するための必要経費のようなものだと思っている。
夜の過ごし方は日によって多少違うが、大きく分けると「作業」と「趣味」の2つになる。
作業のほうでは、
- ブログ記事を書く
- 記事の推敲や構成を考える
- 作品のアイデアを練る
- 何かを作るための準備をする
といったことが多い。
一方、趣味の時間では、
- ゲームをする
- Kindleで本を読む
- お酒を飲みながらだらだらする
- 動画を見たり、考え事をしたりする
といった過ごし方をしている。
この2つは別物のように見えて、
私の中ではそこまで明確に分かれていない。
というのも、ブログや創作活動は「作業」であると同時に「趣味」でもあるからだ。
逆に、ゲームや読書も、ただの暇つぶしでは終わらないことがある。
そこで得た知識や感覚が、後から現実の生活や思考、発信の材料になることも多い。
つまり私にとって夜の時間は、単なる娯楽ではなく、
自分を回復させながら、同時に自分を作っていく時間でもある。
また、夜の楽しみというと「お金がかかりそう」と思われるかもしれないが、
私の場合はむしろ逆で、できるだけ低コストで満足度が高くなる形を選んでいる。
このあたりはかなり意識していて、楽しみ方の軸としては主に次の4つがある。
- 低コスト
- 持続
- 創作
- 思考
まず低コストというのは、そのままの意味で、
あまりお金をかけずに楽しめるものを選ぶということだ。
たとえば、ゲームはセール時に買うことが多いし、1本をかなり長く遊ぶ。
読書も紙ではなく電子書籍中心で、セール時にまとめて買うことが多い。
動画配信サービスも、少ない金額で長時間楽しめるので、コストに対する満足度が高い。
次に持続というのは、
ひとつのものを長く楽しめるかどうかという視点だ。
私は「次から次へと新しい刺激を求める」というタイプではなく、
気に入ったものをじっくり反芻するほうが向いている。
そういう意味でも、ゲームや読書、創作はかなり相性が良い。
短期的な刺激ではなく、長く付き合えるもののほうが、結果的にコスパも満足度も高い。
そして創作。
これは私の生活においてかなり大きい。
自分で文章を書く、何かを作る、考えたものを形にする。
こういった行為は、消費とは違う満足感がある。
消費は受け取って終わるが、創作は自分の中に残る。
しかも、場合によっては収益にもつながる。
ブログや創作活動がそうだが、これは単なる趣味ではなく、
楽しみながら蓄積が残る行為でもある。
この感覚はかなり大きい。
最後に思考。
これも私にとっては立派な娯楽のひとつである。
思想や哲学、社会、幸福、人間の構造などについて考えること自体が、かなり楽しい。
もちろん、ずっと考えていると疲れることもあるが、
少なくとも私にとっては「何もせずボーッとする」よりも、
自分の中で問いを転がしている時間のほうが充実感がある。
このあたりは人によると思うが、
考えること自体を遊びにできる人は、かなり低コストで生きられると思う。
私にとっての満足とは、
単純に「高いものを買った」「豪華な体験をした」ということではない。
そうではなく、
使ったお金や時間に対して、納得感があったかどうか
で決まる。
たとえば、安いゲーム1本でも何十時間も楽しめれば満足度は高いし、
和菓子とお茶だけでも、その時間にしっかり安らげたなら十分価値がある。
逆に、高いお金を払っても、疲れたり、気を遣ったり、思ったほど楽しくなかったりすれば満足度は低い。
つまり満足は、世間的な豪華さではなく、
自分にとっての回復・納得・静けさが得られたかで決まるのだと思う。
だから私は、仕事が終わったあとに必ず好きなことをやる。
大したことではなくてもいい。
ゲームを少しやる、本を読む、お茶を飲む、記事の構想を練る。
そういう時間を毎日の中にちゃんと置いておくことで、
「ただ生き延びるだけの生活」ではなくなる。
手取り20万の非正規でも、それなりに満足して生きていける理由のひとつは、
こうした夜の時間を、自分の幸福の中心として扱っているからだと思う。
弱者男性にとっての幸福とは何か
ここまで、手取り20万・非正規という条件の中での生活を書いてきたが、
最終的に重要なのは「その生活をどう感じているか」だと思う。
つまり、
その状態が自分にとって幸福なのかどうかである。
私の場合、この問いに対する答えはかなりシンプルだ。
他人と必要以上に関わらず、静かに1人で過ごせること。
これが、私にとっての幸福の形である。
孤独でいることが最も安定する
一般的には、
「孤独=寂しい」「人と関わることが大切」といった価値観が強い。
もちろん、それが合う人もいるだろう。
ただ、私の場合は逆で、
人と関わるほどストレスが増えるタイプだ。
会話、気遣い、空気を読むこと。
こういった要素は、日常の中で少しずつ精神を削っていく。
だからこそ、必要以上に人と関わらない生活のほうが、結果的に心が安定する。
これは決して「人間が嫌いだから避けている」というよりも、
自分に合った環境を選んでいるだけに近い。
無理に人と関わるよりも、
1人で静かに過ごすほうが自然で、楽で、そして長く続けられる。
競争しないという立場
現代社会は、基本的に競争を前提として動いている。
- 収入
- 地位
- 学歴
- 人間関係
あらゆるものが比較され、その中で優劣がつけられていく。
ただ、私はこの構造にあまり興味がない。
というよりも、
「自分とは別の世界の話」という感覚に近い。
誰かと競って上に行くことに魅力を感じないし、
それによって得られるものにも、そこまで価値を見出していない。
だからこそ最初から、
競争の土俵に上がらない
という選択をしている。
もちろん、その分だけ得られないものもある。
だが同時に、競争によるストレスやプレッシャーからも解放される。
私にとっては、そのほうが合っているのだ。
「いつ死んでもいい」という感覚がもたらすもの
もうひとつ、自分の中で大きいのが、
「いつ死んでもいい」という感覚である。
これは悲観的な意味ではなく、
「この世に強い未練がない」という状態に近い。
やり残したことが特別あるわけでもなく、どうしても手に入れたいものがあるわけでもない。
だからこそ、
生きることに対して過度な執着がない。
この感覚は、意外にも生きやすさにつながっている。
たとえば、
- 将来への過剰な不安が減る
- 「こう生きなければならない」という圧力から自由になる
- 失敗や損失への恐怖が小さくなる
といった変化がある。
一般的には「人生を大切に」「一生懸命生きるべき」と言われることが多いが、
それがプレッシャーになっている人も少なくないと思う。
私の場合はむしろ、
力を抜いて生きることのほうが、結果的に安定する
という感覚のほうが強い。
ここまでの話をまとめると、
私にとっての幸福とは、
孤独で、静かで、過度な期待もプレッシャーもない状態
である。
高収入でもなければ、社会的な成功を収めているわけでもない。
だがそれでも、
- 日々をそこそこ穏やかに過ごせて
- 最低限の生活が成り立っていて
- 自分の時間が確保できている
のであれば、それは十分に「成立している人生」だと思っている。
まとめ|この生活は再現できるのか
ここまで、手取り20万・非正規という条件での生活を紹介してきた。
結論としては、
生活は問題なく成立する。
重要なのは収入ではなく、生活設計である。
もちろん、この生き方は万人向けではない。
ただ、
- 生活が苦しい
- 将来が不安
- このままでいいのか分からない
と感じている人にとっては、ひとつの選択肢にはなるはずだ。
まずは、
自分がいくらあれば生活できるのかを把握すること。
ここからすべてが始まる。
収入を上げる前に、生活を設計する。
それだけでも、今より少し楽に生きられる可能性は見えてくるだろう。
――――
なお、「弱者男性」という立場や、
その背景にある社会構造・考え方については、以下の記事で体系的にまとめている。
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