反出生主義者の私が考える「子供は産むべきではない」3つの理由【出産は殺人です】

  • 反出生主義者はどうして「子供を産むこと」に反対なのか?
  • 出産することがなぜ「殺人行為と同等の行為」と言えるのか?
  • 子供はむやみに産むべきではないのか?

以上のような悩み・疑問にお答えします。

 

結論からいうと以下のとおりです▼

  • 必ず死に至る存在を産むことは殺人行為だから
  • 幸福な人生が確約されているわけではないから
  • 産まれてくる当人の許可を取ることは不可能だから

以上が、「反出生主義者の私が考える「子供は産むべきではない」理由」になります。

 

子供を産むことは、「殺人と同等の罪深い行為」だと私は考えます。

子供を欲する者たちの身勝手な行いにより、当人が望んでもいないのに生み出されてしまう。

やがて死に至ることが決まっている存在を誕生させることは、「出産と同時に殺害している」と解釈することは十分可能だと思います。

 

私が反出生主義者になったのは、人生を悲観しているからというわけではありません。

「人生を歩むのは面倒くさいなぁ」とは思いつつも、それなりに楽しい毎日を送っています。

なので、ネガティブな感情から「子供は産むべきではなーいっ!」という反対の声をあげているわけではないのです(笑)

 

あくまでも客観的な事実として、

「あれ?子供って産まないほうが良くね?」と思った結果、反出生主義な立場を取るようになりました。

 

この記事では、そんな反出生主義者である私が思う

  • 子供を産むべきではない理由
  • どうして出産をしてはいけないのか?
  • 一体なにが問題なのか?

などについて、なるべくわかりやすく端的に述べていきます。

つくも
つくも

最後まで読めば、子供を産むという行為の「残酷さや無責任さ」が理解できると思うぞ。

この記事を書いた人
つくも

日本一の弱者男性、ミニマリスト、人形作家、ライターとして活動。

30代中卒で 精神障害持ちの非正規労働者が本業です(笑)

両親が亡くなったあと、自殺する予定で生活しています。

ご依頼・ご連絡は当ブログの「お問い合わせ」からお願いいたします。

つくもをフォローする

反出生主義者の私が考える「子供は産むべきではない」理由

結論からいうと以下のとおりです▼

  • 必ず死に至る存在を産むことは殺人行為だから
  • 幸福な人生が確約されているわけではないから
  • 産まれてくる当人の許可を取ることは不可能だから

順番に解説していきます▼

1:必ず死に至る存在を産むことは殺人行為だから

1つ目は、「必ず死に至る存在を産むことは殺人行為だから」です。

この世に生を受けた人間は徐々に歳を重ねていき、必ずどこかのタイミングで死に至ります。

あらかじめ死ぬことがわかっているにも関わらず、そのような存在を生み出すことは、「他者を死に至らしめる殺人行為と同等の行い」だと私は考えています。

 

子供を産むことは、他者に「死を強制させる」こと。

この世に生を授けるということは、同時にその命が「死によってこの世を去ること」も確約されます。

子供は産まれた瞬間、死に至る人生を親から強制的に突き付けられ、無理やりに「生きざるを得ない状況へと駆り出されてしまう」のです。

 

殺人の定義については、

  • 他者の命を故意に奪うこと
  • 生きている状態の者を死に至らしめること

というのが一般的な考え方です。

 

命を生み出すということは、誕生と同時に「将来的に消滅すること」も確定されます。

やがて死に至る事実が、産まれること同時に発生してしまう以上、子供を産むという行為は「殺人行為と同等」だと言えると思います。

命を生み出さなければ、やがて死に至る人間もこの世に誕生することはないのです。

つくも
つくも

産んだ瞬間に「その人間(子供)の死が確定する」わけだからな。人が生まれるのは生命の神秘とか言うアホが世間には多いけど、私からすれば「ただの殺人事件」だぞ(笑)

 

人類のほとんどは、子供を産む時に「その子が死ぬこと」まで考えません。

人間が動物である以上、子孫を増やして文明や社会を発展させることが最優先でしょうから、そんなことは考えないのが当たり前ではあるでしょう。

とはいえ、合理的・道徳的に物事を考えられるだけの知能があり、ここまで大きな文明を築き上げたのならば、「子供を産むことをむやみ賛美し続ける価値観」が未だに残っているのはどうかと思います。

 

子供を産んだ瞬間に死は確定します。

子供が欲しい等のエゴイズム的な考えで産む人たちは、自分が行った行為がどれだけ「残忍なこと」なのかを自覚すべきでしょう。

あなたが産んでしまったから、その人間は「やがて確実に死ぬことになってしまった」のですから。

つくも
つくも

まさに「雉も鳴かずば撃たれまい」だな。「子供を産まなければ死ぬことは無い」のだ。

 

ということで、1つ目は「必ず死に至る存在を産むことは殺人行為だから」でした。

 

2:幸福な人生が確約されているわけではないから

2つ目は、「幸福な人生が確約されているわけではないから」です。

産まれてきたからといって、必ずしも「幸福な人生が歩める」とは限りません。

不幸になる可能性も十分に考えられる以上、出産という取り返しのつかない行為を行うのは、子供を産もうとしている側の「エゴイズムに満ちた賭け(ギャンブル)」のようなものです。

 

命を産み出す行為は、無かったことにはできません。

産んでしまったが最後、その子が不幸な人生を送ることになっても、それを取り消すことは不可能です。

場合によっては幸福な人生に変わる可能性も確かにありますが、死ぬまで不幸な人生のままである可能性も同じようにあり、「自殺という手段で人生を途中退場する」ことも往々にして起こりうるのです。

 

「考え方が悲観的すぎる」という意見もあると思います。

しかし、どうなるのか不明瞭な人生というゲームにおいて、出産という形で「人間の命を賭ける」のは、あまりにもリスクが大きいのではないでしょうか。

賭けに負けてしまえば、「生きていることそれ自体が耐えがたい苦痛」となりえる可能性がある以上、安易に子供を産むことはむしろ「生命に対する冒涜」だと私は考えます。

つくも
つくも

しかも、不幸な人生になってしまえば、「それは本人の責任である」というのが一般的な人々の考え方だ。「努力が足りない」とか、「もっと頑張れ」とか言う以前に「そもそも生まれなければこんなことにはならなかった」という原点をきちんと見直すべきである。

 

子供を産まなければ、「不幸な人生を送るかもしれない存在」は誕生しません。

報われない人生に絶望し、自ら命を絶つ人間の数も大きく減るでしょう。

でも、もし産んでしまったら、幸福な人生を歩む者たちの裏で、「生まれてきたことを後悔するほどの不幸な人生を送る者たち」も確実に誕生させてしまうことになります。

 

出産は、「人間の命を使ったギャンブル」です。

子供を欲する者たちの身勝手な行いのせいで、生まれた子供は「あとに引けない大勝負」をさせられる。

望んでもいない戦いに繰り出され、運悪く負けてしまえば、自死を選ばざるおえないほど苦痛に満ちた人生を歩むことになるのです。

つくも
つくも

「なぜ、世界には不幸な人間が存在するのか?」という問いについては、「この世に生まれてしまったから」という答えが最も的確である。

 

ということで、2つ目は「幸福な人生が確約されているわけではないから」でした。

 

3:産まれてくる当人の許可を取ることは不可能だから

3つ目は、「産まれてくる当人の許可を取ることは不可能だから」です。

歴史上のすべての出産において、産まれてくる当人の許可を得て出産した人間は1人もいません。

許可を取ることも無いまま「他者の生命の誕生・消滅に関与すること」は、暴力行為もしくは殺人行為と同等の行いだと私は考えます。

 

「生まれる前なんだから当人の許可なんて取れるわけないじゃん」と思われるかもしれません。

確かにその通りですが、許可を取ることができないならば、産むという選択を「勝手に判断してはいけない」のではないでしょうか。

許可を取ることができないからと言って、当人から「自分たちに都合の良い返答」を貰えることを前提にして、命を産み出すという「取り返しのつかない行い」をするのは身勝手すぎます。

 

ただ、子供を産む上で「産まれてくる当人の許可を取る必要は無い」のも事実です。

とはいえ、命を産み出すという行為の不可逆性を考慮すると、許可を取る必要は無いにしても「勝手な判断で行うことが許されるわけではない」と思います。

産まれてくる者は自分の意思を持っており、やがて確実に死に至る運命を持つ存在であるため、「この世に誕生することを強制的に押し付ける」のは、やはり私には暴力や殺人行為と同じようなものに思えるのです。

つくも
つくも

生命の誕生ってめちゃくちゃ重大な事象なのに、それが勝手に行われるのって少し変じゃないか?

 

子供を産むことは、「100%産む側の一方的な望み」です。

産まれてくる子供はまだ意思を持たないため、「自ら望んで誕生するという選択を取ること」はありません。

意思表示できない者に対して、「当人が望んでもいないことを強要することが許される行為ではない」のは、反出生主義者ではない人でも理解できるはずです。

 

許可を取ることができず、当人の意思を確認することもできない。

のであれば、むやみに子供を産むことは避けるべきでしょう。

ということで、3つ目は「産まれてくる当人の許可を取ることは不可能だから」でした。

 

以上が、「反出生主義者の私が考える「子供は産むべきではない」理由」になります。

まとめ

それでは、記事のまとめです。

ここまでの内容を軽く振り返って、終わりたいと思います。

 

「反出生主義者の私が考える「子供は産むべきではない」理由」は、以下のとおり▼

  • 必ず死に至る存在を産むことは殺人行為だから
  • 幸福な人生が確約されているわけではないから
  • 産まれてくる当人の許可を取ることは不可能だから

以上になります。

 

子供を産むことは、「殺人と同等の罪深い行為」です。

「子供が欲しい」というエゴイズム的な感情のもと、確実に死に至る存在を産むことは「残忍極まりない鬼畜の所業」と言えます。

世間の人たちは、生命が誕生することをまるで奇跡のように扱って賛美しますが、「誕生と同時にその者の死を確定させている」という事実にも目を向けるべきだと思います。

 

必ずしも幸福になれるとは限らないのが人生というもの。

であるならば、「不幸になってしまう人間の絶対数を確実に減らす」ためにも、子供を産むことは避けるべきです。

出産というギャンブルが繰り返される限り、幸福な者たちの陰に隠れ、「不幸な者たちの亡骸が積みあがっていく現実」はいつまでも変わらないでしょう。

 

ここまで長々と見てくださって、ありがとうございました。

また別の記事でお会いしましょう。

(`・ω・´)< 記事の拡散をたのむぜ!

この記事を書いた人
つくも

日本一の弱者男性、ミニマリスト、人形作家、ライターとして活動。

30代中卒で 精神障害持ちの非正規労働者が本業です(笑)

両親が亡くなったあと、自殺する予定で生活しています。

ご依頼・ご連絡は当ブログの「お問い合わせ」からお願いいたします。

つくもをフォローする
未分類
記事をシェアする▼
つくもをフォローする
タイトルとURLをコピーしました