自殺という選択肢しか残さない「安楽死を認めない社会」は地獄【コラム】

 

私は自殺という方法はあまり好ましいとは思っていない。

もっと正確に言うならば、「死ぬことに適した環境が十分に整っていない状態で死ぬこと」があまりいいとは思わない。

つまりは「自ら死ぬ方法が自殺しか存在しない社会」は、いかがなものかと言いたいのだ。

 

基本的に自殺は痛みや苦痛を伴う上に、最悪の場合は中途半端に失敗で終わる可能性もある。

そのため、実行するまでの心理的なハードルも高く、失敗した際の後遺症とその後の不自由な生活のことを考えるとなかなか実行しづらいのが現状である。

 

国によっては安楽死が認められているところもあるが、対象となるのは重病患者などの限られた人たちだけだ。

「長生きしたくないから」などの理由ではまず安楽死させてもらうことができないだろう。

さらに日本では安楽死制度自体が未だに整備されておらず、社会的にも文化的にも医療業界の内情的に考えても、日本で安楽死制度が認められることは今後もまず無いと思う。

 

そのため、日本にいる限り、自らの寿命を決めて死を迎えるには「自殺」するしかない。

痛みや苦痛を伴う可能性があり、不確実な結果が生まれるかもしれない方法しか残されていないのだ。

 

しかし、実行したくとも二の足を踏まざるおえないのは言うまでもないため、大半の人たちが半強制的に「生きることを強いられる」ことになる。

生きている間の義務が撤廃されるわけでもなく、手厚い補償があるわけでもないのに、生きることだけは強制し、死にたければ「痛みや苦痛を受ける覚悟で自殺を選べ」と言わんばかりに頑なに安楽死制度を認めようとしない。

生きるも地獄、死ぬも地獄なのだ。

 

この記事を書いた人
つくも

日本一の弱者男性、ミニマリスト、人形作家、ライターとして活動。

30代中卒で 精神障害持ちの非正規労働者が本業です(笑)

両親が亡くなったあと、自殺する予定で生活しています。

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