恋人がいないと言うと、こう思われることがある。
「本当は欲しいけど、できないだけでしょ?」
特に男性の場合、「弱者男性」という言葉とセットで語られることもある。
だが私は、恋人ができないのではない。
作らないと決めている。
これは言い訳ではなく、生活設計の結果だ。
恋愛を否定しているわけではない
誤解を避けるために、最初に明確にしておく。
- 恋愛を否定していない
- 恋人がいる人を否定していない
- 結婚を否定していない
ただ、私の優先順位に入っていないだけである。
正解の話ではない。
最適解の話だ。
理由1:金銭的合理性を見出せない
私は普段から、固定費を軽くする生活を好んでいる。
生活の変数が少ないほど、精神は安定する。
だが、恋愛にはどうしても継続的な支出が発生するものだ。
- デート代
- プレゼント代
- 旅行やイベント費
- 外食費
- なんとなく増える雑費
否定はしない。
必要とする人もいるだろう。
しかし私は、
永続が保証されない関係に対して、継続的コストを払い続ける合理性
を見出せなかった。
「コスパが悪い」と言えば角が立つかもしれない。
だが少なくとも、私の価値観とは合わない。
それだけである。
理由2:時間の投資効率が低いと感じる
私にとって、お金よりも重要なのは時間である。
恋愛は、時間を使う。
- 関係を築く時間
- 連絡を取る時間
- 会う時間
- 維持する時間
そして人間関係は、努力とは別の要因で終わることもある。
私は、積み上がるものに時間を使いたい。
- 思考
- 基盤
- スキル
- 生活の安定
恋愛が悪いとは言わない。
ただ、私の目には「魅力的な投資対象として映っていない」だけである。
理由3:「好感度維持」という構造に疲れる
恋愛は、ある意味で好感度の管理である。
- 記念日を覚える
- 気遣いをする
- 相手の機嫌を読む
- ときに演出をする
それを自然に楽しめる人もいる。
しかし、私は違う。
常に「他者視点を維持する生活」には、価値を感じない。
自然体でいられない関係なら、最初から持たない方が合理的だと考える。
理由4:人間関係を広げたいと思わない
恋人ができれば、その周囲との関係も生まれる。
- 友人
- 家族
- 職場
- 過去
世界が広がる、と言えば前向きに聞こえる。
だが私は、
人間関係は「拡張」より「圧縮」を選びたい。
関係が増えるほど、調整は増える。
私は低刺激で、完結した生活を好む。
理由5:一人で完結する生活で困っていない
生活のことは一通り、自分でできる。
- 炊事
- 洗濯
- 掃除
- 家計管理
困っていることは1つもない。
寂しさがゼロだと言うつもりもない。
だが、総合的な満足度は高い。
私は、「誰かがいなければ成立しない人生を望んでいない」のだ。
「恋愛できないだけだろう」と言われることについて
恋人がいない男性に対して、こんな評価が下されることがある。
「本当は欲しいけれど、できないだけだろう」
ずいぶんと便利な解釈だと思う。
本人に確認する必要もなく、
事情を想像する手間もなく、
ただ「能力不足」という枠に入れておけば話が終わる。
そう考える人がいること自体は否定しない。
ただ、私がその「短絡的な推測に合わせて人生設計を変更する理由」もない。
外から見えるのは結果だけだ。
だが私は、選択基準で生きている。
- 欲しいのに手に入らないのか
- そもそも優先順位に入れていないのか
その区別をしないまま語るのは自由だ。
だが、私の生活は自由ではない。
私が決めている。
説明もしない。
証明もしない。
誤解されたままでも困らないからである。
恋愛しない生き方は逃げではない
恋愛をしないことを、敗北や撤退のように語る人がいる。
だが、参加していない競技に順位はつかない。
競争に身を置いていない人間を、「負け」と定義すること自体が、すでに一つの価値観である。
少なくとも私にとって、これは回避ではない。
選択である。
人生は、すべてを取るゲームではない。
何を持つかよりも、何を持たないかを決めることの方が、その人をよく表す。
選ばなかったものがあるという事実と、失ったという評価は同じではないのだ。
欲しなかったものを所有していないだけ。
それを欠落と見るか、設計と見るか。
私は後者を選んでいる。
まとめ|これは主張ではなく、宣言である
私は恋人を作らないと決めている。
それは強がりではない。
強がる必要がないからである。
恋愛をする人もいる。
しない人もいる。
私は後者だ。
ただ、それだけだ。
