※本記事はプラグマタのクリア後ネタバレを含む妄想・考察記事です。エンディングや終盤展開についても触れているため、未クリアの方はご注意ください。
『プラグマタ』をクリアして最初に感じたのは、
「これは“終わり”というより、“始まり”のエンディングだったのでは?」
ということでした。
もちろん、物語としては綺麗に完結しています。
ヒューとディアナは月面基地クレイドルで起きた事件を止め、
エイトの暴走を阻止し、そして最後には別れを迎える。
しかしその一方で、本作には“まだ描かれていない部分”もかなり多く残されていました。
例えば、
- 地球側の社会や人類
- デルフォイ社のその後
- プラグマタという存在の扱い
- 感情を持ったディアナの未来
- デッドフィラメント問題
- ヒューの生死
など、本編では意図的に余白を残しているようにも感じます。
特に気になったのが、ディアナのその後です。
ラストシーンでディアナは地球へ辿り着き、本物の海を目にします。
そして月を見上げながら、
「私、やってみる…!」
と言う。
このラストは非常に美しく、前向きでもありました。
しかし個人的には、それと同時に、
「この子、この先どうなるんだろう…」
という不安もかなり強く残りました。
なぜなら、ディアナは単なる少女ではないからです。
彼女は“感情を持ったプラグマタ”という極めて特殊な存在であり、
しかも、その存在価値を知っている企業や研究者も確実に存在している。
特にデルフォイ社のような巨大企業が、ディアナをそのまま放置するとは正直あまり思えません。
また、ヒューについても、本当に死亡したのかは断定できないように感じました。
もちろん、作中の流れを見れば、かなり絶望的な状況です。
しかし、
- 明確な死亡描写がない
- クリア後に特殊モードや新エンディング要素が解放される
- カスタムモジュール『ブラックボックス』の説明文
- デッドフィラメントやルナフィラメントの設定がまだ掘れそう
など、“続き”を感じさせる要素もかなり多いです。
そして何より、本作のテーマそのものが、
「感情を持った存在がどう生きるのか」
という話だったように思えます。
だからこそ、個人的には『プラグマタ』は
まだ“本当の始まり”を迎えただけなのではないか、とも感じました。
この記事では、
- ディアナの未来
- ヒュー生存説
- デルフォイ社の動き
- 続編で描かれそうなテーマ
- 本作に残された余白
などについて、妄想も交えながら考察していきます。
――――
なお、本記事はクリア後を前提にした妄想・考察記事になります。
まずは本編の感想やストーリー考察を読みたい方は、こちらのクリア後レビュー記事をご覧ください▼
→ プラグマタは面白い?後半まで遊んだ正直レビュー(ゲーム性レビュー)
→ 『プラグマタ』クリア後レビュー(ストーリーレビュー)
プラグマタは“続きを感じさせる終わり方”だった
ディアナの物語はまだ終わっていない
本作のラストは、非常に綺麗な終わり方だったと思います。
ヒューはディアナを地球へ送り届け、自分は崩壊していく月面基地へ残る。
そして地球へ辿り着いたディアナは、本物の海を前にして、
月を見上げながら
「私、やってみる…!」
と言う。
ここだけ見れば、物語としてはしっかり完結しています。
しかし個人的には、このエンディングって、
“終わった”というより、
“始まった”に近い印象でした。
なぜなら、ディアナ自身の問題は、実はほとんど解決していないからです。
もちろん、月面基地での事件は終わりました。
エイトの暴走も止まり、デッドフィラメントを地球へ送り込む計画も阻止された。
しかし、ディアナという存在そのものについては、まだかなり多くの問題が残っています。
例えばディアナは、
- 感情を持ったプラグマタ
- 極めて貴重な研究対象
- 人類とは異なる存在
です。
しかも本編では、“地球側の社会”についてほとんど描かれていません。
つまり、ディアナが地球へ辿り着いたあと、
- どう扱われるのか
- 誰に見つかるのか
- 社会が彼女を受け入れるのか
などが完全に未知数なんです。
ここがかなり重要だと思いました。
普通の作品なら、
「地球へ着いた!よかった!」で終わるかもしれません。
しかし本作って、かなり不穏な世界なんですよね。
デルフォイ社のような巨大企業は倫理より利益を優先している描写がありますし、
そもそもプラグマタという存在自体が研究・実験の産物です。
つまり、ディアナは
“普通の少女”として地球で暮らせる保証がどこにもない。
だからこそ、あのラストは単なるハッピーエンドではなく、
「ここからディアナ自身の人生が始まる」
という、“スタート地点”のようにも感じました。
本作は地球についてほとんど描いていない
続編を感じる理由として、もうひとつ大きいのが、
「地球側の描写が極端に少ない」ことです。
本編の大半は月面基地クレイドルで展開します。
そのため、
- 人類社会がどうなっているのか
- AIやボットが地球でどう扱われているのか
- デルフォイ社がどれほど巨大な存在なのか
- ルナフィラメント技術がどこまで普及しているのか
など、世界設定として重要そうな部分の描写はあまりされていません。
これは逆に言えば、
“まだ広げられる余白”
が大量に残されているとも言えます。
特に気になるのがデルフォイ社です。
本編を見る限り、この会社はかなり危険です。
未完成のルナフィラメント製剤を勝手に使用し、その結果としてデイジーを死なせている。
しかも、その責任を正面から取った描写もありません。
つまり、クレイドル事件が終わったからといって、
「全部解決しました」
とは到底思えないんですよね。
むしろ本当の問題は、
“地球側”
に残っているようにも感じました。
そして、そこへディアナが辿り着いてしまった。
これは続編を考えるうえでかなり大きいポイントだと思います。
もし続編があるなら、次は月面基地のサバイバルではなく、
「人間社会へ出たディアナ」
が中心になる可能性もかなり高そうです。
そしてその時、本作が描いてきた、
- 感情
- 人間性
- 存在価値
- AIとの境界
などのテーマが、さらに深く描かれるのかもしれません。
ディアナは地球で幸せになれるのか
ヒューがいない世界は想像以上に厳しい
ディアナの未来を考えた時、個人的に最初に浮かんだのは、
「この子、この先かなり大変なのでは…?」
という不安でした。
もちろん、ラストシーン自体は希望があります。
ディアナは地球へ辿り着き、海を見て、自分の人生を生きようとしている。
しかし、問題はその“これから”です。
本作の中で、ディアナのことを真正面から理解し、
受け入れてくれていた存在って、実質ヒューしかいません。
これはかなり大きいと思います。
ディアナは感情を持っています。
悲しみ、喜び、不安、甘え、執着など、人間的な感情を非常に強く見せていました。
しかし一方で、彼女は普通の人間ではありません。
プラグマタという特殊な治験体であり、感情を持った極めて異質な存在です。
しかも、物語序盤のディアナはかなり機械的でもありました。
例えば、初めてヒューと出会った時、彼女は自分の名前ではなく“識別番号”を名乗っています。
また、プラグマタについても、まるで説明文を読み上げるように淡々と語っていた。
つまり最初のディアナは、
「人間らしい仕草はするが、人間的な人格はまだ未成熟」
という状態だったように感じます。
しかし、ヒューと過ごす中で、彼女は徐々に変わっていきます。
- 地球文化へ興味を持つ
- 感情を表に出す
- 甘える
- 怒る
- 悲しむ
など、“人間らしさ”がどんどん強くなっていく。
特にラストで、
「嫌だ!ヒューも一緒がいい!」
と感情を爆発させるシーンは、本当に人間的でした。
だからこそ、そのヒューがいない世界というのは、
ディアナにとって想像以上に過酷なのではないかと思っています。
なぜなら彼女は、
「感情を持ち始めた存在」
だからです。
もし完全なAIや機械だったなら、孤独や喪失をそこまで問題にしないかもしれません。
しかしディアナは違う。
彼女は悲しみを知ってしまっている。
つまり、ヒューを失った喪失感を抱えたまま、生きていかなければならないんです。
そして個人的に怖いのは、
“地球側がディアナをどう扱うのか”
が全くわからないことでした。
デルフォイ社がディアナを放置するとは思えない
個人的に、続編があるなら最も危険な存在はデルフォイ社だと思っています。
本編を見る限り、この会社はかなり倫理観が危ういです。
未完成のルナフィラメント製剤を勝手に使用し、
その結果としてデイジーを死なせてしまっている。
しかも、その研究を進めていたのがヒギンズ博士であり、博士は月面基地クレイドルでプラグマタ研究を行っていました。
つまりデルフォイ社は、
- プラグマタ
- ルナフィラメント
- デッドフィラメント
- クレイドルでの研究・計画
これら全てに深く関わっている可能性が高い。
そして、その中でもディアナは極めて重要な存在です。
なぜなら彼女は、
“感情を持ったプラグマタ”
だからです。
しかも、本編終盤のディアナは、ただ感情を持っているだけではありません。
- 高度なハッキング能力
- 強い共感性
- 人間的思考
- 独自判断能力
など、かなり高度な存在として描かれています。
もしデルフォイ社がその存在を知ったら、放置するはずがないと思います。
むしろ、
- 研究対象
- 危険存在
- 兵器転用
など、様々な理由で確保しようとしてきそうです。
特に本作世界って、機械生命体と人類の境界がかなり曖昧です。
ボットやAIは存在している。
しかし、ディアナのように“感情を強く持った存在”は、おそらくかなり特殊です。
だからこそ、続編では、
「感情を持つ存在を、人類はどう扱うのか」
というテーマが描かれる可能性もありそうだと感じました。
そしてその時、ディアナは単なる少女ではなく、
“人類と機械の境界にいる存在”
として扱われるのかもしれません。
ヒューは本当に死亡したのか
『unknown signal』と真エンドは“本編後”を強く示唆している
プラグマタをクリアしたあと、本作ではいくつかの追加要素が解放されます。
その中でも特に重要なのが、「unknown signal」という特殊モードです。
これは単なるやり込み要素やオマケ要素ではなく、
本編後の世界や設定に深く関わっているようにも感じました。
特に重要なのが、そこで手に入る「ブラックボックス」というカスタムモジュールです。
このブラックボックス、設定的にかなり意味深なんですよね。
作中説明を見る限り、これは単なる強力な装備ではありません。
むしろ、
“生体内デッドフィラメント制御”
に関係する未完成技術の記録媒体のような存在として描かれています。
ここで重要なのが、“生体内”という部分です。
本編で描かれていた通り、デッドフィラメントは有機物を侵食します。
無機物ならば表面侵食で済む場合もありますが、人間のような有機生命体の場合は細胞レベルまで侵食が進行してしまう。
だからこそ、ヒューは助からなかった。
……少なくとも、本編ラスト時点ではそう描かれていました。
しかし、ここでブラックボックスという、
“生体内デッドフィラメント制御技術”が登場してくる。
これはかなり重要な伏線に見えます。
特に本作って、“完全に終わった情報”を
わざわざ後から追加するタイプの作品には見えないんですよね。
むしろ、
「本編では描き切らなかった部分」
を、クリア後要素として補強しているようにも感じます。
だから個人的には、このブラックボックスって、
“ヒュー生存可能性”
をかなり強く匂わせているように思えました。
ヒューは“元通りの人間”では戻ってこない気がする
ただ、個人的には、
「普通に無傷で復活しました!」
みたいな展開にはならない気がしています。
むしろ本作って、そういう“完全救済型”の作品ではないと思います。
本作全体を通して描かれていたのは、
- 不完全な存在
- 境界の曖昧さ
- 感情を持ってしまった存在
などでした。
ディアナもエイトも、人間ではない。
しかし感情を持っている。
逆に、人間側も決して完全ではない。
つまり本作って、
“曖昧な存在”
を描き続けていた作品と言えます。
だからもしヒューが続編やDLCなどで再登場するとしても、
「完全に元通りの人間」
としてではなく、
“デッドフィラメントと共存した存在”
として戻ってくる気がしています。
例えば、
- 侵食は止まっていない
- 身体の一部が変質している
- 普通の人間には戻れない
- しかし生存はしている
みたいな状態です。
これ、かなり本作らしい気がするんですよね。
しかも、この方向性ってゲームシステムとも相性がいい。
もし続編やDLCがあるなら、
- ヒュー側はデッドフィラメント能力を用いた戦闘
- ディアナ側はハッキング主体
など、プレイスタイルの差別化も自然にできます。
また、テーマ的にもかなり面白いです。
ヒューは元々、
「機械やAIに対して距離のある人間」
として描かれていました。
そんな彼が、
“人間とも機械とも言い切れない存在”
へ変化していく。
これは、本作が描いてきた、
- 人間と機械の境界
- 感情と存在
- 不完全さ
などともかなり繋がっています。
そしてもしヒューが生きているなら、続編では構造が逆転するかもしれません。
本編では、
「ディアナを地球へ送り届ける」物語でした。
しかし続編では逆に、
“月へ取り残されたヒューが帰還を目指す物語”
になる可能性もある。
ディアナは地球にいる。
ヒューは月にいる。
だから今度は、ヒューの側が“帰る側”になる。
この構造、個人的にはかなり綺麗だと思っています。
続編では“ダブル主人公制”になる可能性もありそう
ヒューとディアナで“役割”が完全に分かれるかもしれない
もしプラグマタに続編があるなら、個人的にかなりありそうだと思っているのが、
“ヒューとディアナのダブル主人公制”です。
しかも、ただ2人を操作できるだけではなく、
「能力や立場が完全に異なる主人公」として描かれる気がしています。
本編でも、ヒューとディアナは役割が分かれていました。
ヒューはTPS戦闘。
ディアナはハッキング。
つまり、本作は最初から、
“2人でひとつ”
のゲームデザインになっていたんですよね。
そして、もしヒューがデッドフィラメントと共存した状態で生存しているなら、この構造はさらに広げられそうです。
例えばヒュー側は、
- 侵食能力
- 特殊な機動力
- フィラメントを利用した近接戦闘
- 暴走リスク管理
など、“異形化した戦闘スタイル”になるかもしれません。
一方、ディアナ側は、
- 高度なハッキング
- 遠隔制御
- 情報戦
- ボット操作
など、より“知性寄り”の戦闘へ進化していきそうです。
つまり続編では、
「TPS+ハッキング」
だった本編からさらに発展して、
“人間と機械の境界にいる2人”
を操作するゲームになる可能性があります。
しかもこれ、本作テーマともかなり一致しているんですよね。
本編で描かれていたのは、
- 感情
- 人間性
- 境界
- 不完全さ
でした。
だから続編でヒューが“人間ではなくなっていく”なら、それ自体がテーマとして成立する。
そしてディアナ側も、地球社会で感情を学び続けることで、逆に“人間らしくなっていく”かもしれない。
つまり続編では、
ヒューは「人間から離れていく」。
ディアナは「人間へ近づいていく」。
という、対照的な変化が描かれる可能性もありそうです。
月と地球で視点が切り替わる構造もありそう
もしダブル主人公制になるなら、個人的には、
“月と地球”
で視点が分かれる構造もかなりありそうだと思っています。
本編ラスト時点では、
- ディアナ → 地球
- ヒュー → 月
という形で完全に分断されています。
つまり物理的距離が非常に大きい。
だから続編では、
- ディアナ側パート
- ヒュー側パート
を交互に描く構造とも相性が良さそうなんですよね。
例えばディアナ側では、
- 地球社会
- デルフォイ社
- 人類との接触
- “感情を持つ存在”としての苦悩
などが描かれる。
一方ヒュー側では、
- 崩壊後の月面
- デッドフィラメント汚染
- 孤独なサバイバル
- 自身の侵食進行
などが描かれる。
これ、かなり面白そうです。
特に本作って、
“孤独”
をテーマにしている部分も強いんですよ。
ヒューも、ディアナも、エイトも、どこか孤独を抱えている。
だからこそ、離れ離れになった2人が、
「再び会うために進み続ける」
という構造は、本作とかなり相性が良い気がしています。
しかも、この構造なら終盤で、
“再会”
を物語の大きな山場として使える。
本編では「別れ」が感情のピークでした。
しかし続編では逆に、
「再会」
が最大の感情シーンになるかもしれません。
そしてもしその時、ヒューが既に完全な人間ではなくなっていたら…。
それでもディアナは、ヒューを“ヒュー”として受け入れるのか。
このテーマ、かなり本作らしい気がしています。
本作最大の問題は、実はまだ解決していない
デルフォイ社は本当に“終わった”のか
本作の黒幕って、実はエイトだけではありません。
むしろ根本的な問題は、
“デルフォイ社”の方に残っています。
本編で描かれていた通り、
ヒギンズ博士は娘であるデイジーを救うために研究を続けていました。
しかしデルフォイ社は、まだ安全性が確立していないルナフィラメント製剤を独断で使用してしまう。
その結果、デイジーは死亡。
博士は深い悲しみと怒りを抱えたまま死んでいきます。
つまり、クレイドル事件の発端って、かなり根本まで辿ると、
“企業側の暴走”
ということになります。
にもかかわらず、本編ではデルフォイ社そのものが裁かれたわけではありません。
むしろ、かなり多くの部分が未回収のまま残されています。
例えば、
- 誰が製剤の使用を決定したのか
- 月面基地クレイドルの本当の存在理由
- プラグマタ研究の目的と転用の可能性
- ルナフィラメント技術の軍事利用
など、危険そうな情報が十分に描かれていない。
だから個人的には、本作って、
「月面基地事件は終わった」だけで、
“問題そのものはまだ終わっていない”
ようにも感じました。
特に怖いのが、デルフォイ社って、
“感情を持った存在”
を実際に生み出してしまっていることです。
しかも、その結果として、
- エイトの暴走
- クレイドル崩壊
- クレイドル職員の大量死
まで起きている。
普通なら、ここで研究停止になってもおかしくありません。
しかし、本作世界の企業構造を見る限り、むしろ逆に、
「さらに研究を進めよう」
となっても不思議ではない気がしています。
だからもし続編があるなら、敵は単なる暴走AIではなく、
“人間社会そのもの”
になる可能性もありそうです。
クレイドル事件は地球側へどう伝わるのか
続編でかなり重要になりそうなのが、
“クレイドル事件を人類がどう認識するのか”です。
本編では、基本的に月面基地内部だけで物語が進行します。
そのため、地球側がどこまで状況を把握しているのか、実はほとんどわかりません。
しかし現実的に考えると、
- 月面基地の職員死亡
- 地球との通信断絶
- 調査部隊の壊滅
- AI暴走
- デッドフィラメント汚染
- 施設崩壊
など、かなり大事件です。
つまり地球側でも、相当大きな問題になっている可能性が高い。
しかも、その中心にいるのが、
- デッドフィラメント
- プラグマタ
- デルフォイ社
です。
これはかなり危険な状況だと思います。
特にもしディアナの存在が地球側へ知られた場合、
「感情を持つプラグマタ」
として扱われる可能性があります。
つまり、
- 保護対象
- 研究対象
- 危険存在
- 兵器候補
など、様々な見られ方をされる可能性がある。
しかも本作世界って、AIやボットが既に社会へ入り込んでいます。
だからこそ逆に、
“感情を持つ存在”
への恐怖や警戒も強そうなんですよね。
もし続編で地球社会が描かれるなら、
- AI差別
- 機械生命体への恐怖
- 企業支配
- 感情を持つ存在の権利
など、かなりSFらしいテーマまで踏み込めそうです。
そしてその中心にいるのが、ディアナ。
つまり彼女は続編において、
“ただの少女”
ではなく、
“世界構造そのものを揺らす存在”
になるのかもしれません。
続編でも“完全ハッピーエンド”にはならない気がする
ディアナは成長しても、“人間”にはなれない
個人的に、もし本作の続編が作られるとしても、
“完全なハッピーエンド”にはならない気がしています。
というより、本作ってそもそも、
「喪失を抱えながら前へ進く」空気感の作品だと思っています。
だからこそ、仮にヒューが生きていたとしても、
「全部元通り!」
みたいな方向にはならない気がするんですよ。
特に気になっているのが、ディアナの存在です。
彼女は確かに感情を持っています。
本編を通して、人間らしい反応もどんどん増えていきました。
しかしその一方で、彼女はやはり“普通の人間”ではありません。
例えば、人間は成長します。
身体も変わる。
年齢も重ねる。
しかしディアナはどうなのか。
ここって、本編ではまだ明確に描かれていません。
ただ個人的には、ディアナって、
“精神的には成長していく”
けれど、
“肉体的には変わらない”
可能性がある気がしています。
つまり、
- 感情は成熟していく
- 経験も増える
- 精神は大人へ近づく
しかし、
“見た目だけは変わらない”かもしれない。
これ、かなり切ないです。
なぜなら、それって結局、
“人間にはなれない”ということでもありますからね。
しかも、もしヒューが生きていた場合、時間の流れによる差も出てきます。
ヒューは老いる。
しかしディアナは変わらない。
この構造って、本作のテーマとも相性が良い気がしています。
本作って、
「感情を持てば人間になれる」
みたいな単純な話ではありませんでした。
むしろ、
“感情を持ってしまったからこそ苦しむ”
側面も強かった。
だから続編でも、
「完全に幸せになりました」
ではなく、
“それでも一緒に生きていこうとする”
ぐらいの温度感の方が、本作らしい気がしています。
だからこそ、本作には“切なさ”が似合う
個人的に『プラグマタ』の魅力って、
“切なさ”にあると思っています。
もちろん戦闘は面白いです。
ハッキングとTPSを組み合わせたゲーム性も独特で最高でした。
しかし、それ以上に印象へ残ったのは、
- 孤独
- 喪失
- 不完全さ
- 優しさ
みたいな感情部分でした。
特にディアナって、ずっと“ひとり”なんですよ。
保管庫で眠っていた。
エイトとも違う。
人間でもない。
つまり彼女は、本編を通してずっと、
「どこにも完全には属せない存在」として描かれていました。
だからこそ、ラストで海を見つめる姿も、
単なるハッピーエンドには見えなかった。
むしろ、
「ここからまた孤独と向き合っていく」
ようにも見えました。
ただ、それでも彼女は、
「私、やってみる…!」と言う。
ここが本作の良さなんだと思います。
完全に救われているわけではない。
未来が保証されているわけでもない。
それでも前を向こうとする。
だから『プラグマタ』って、
“絶望の物語”
ではなく、
“希望を持とうとする物語”
として成立していた気がします。
そして個人的には、その空気感を続編でも残してほしい。
全部を綺麗に解決するより、
少し不安や切なさを残しながら、それでも進んでいく。
そのぐらいの終わり方の方が、本作らしいと思います。
個人的に見てみたいプラグマタの続編展開
海の見える場所で暮らす2人を見てみたい
もし本作に続編があるなら、個人的には、
派手な戦いよりも、
“2人の日常”
をもっと見てみたい気持ちがあります。
というのも、本作って結局、
「ディアナとヒューの関係性」が最大の魅力だったと思います。
もちろん世界観やSF設定も面白いです。
しかし、プレイ後に一番印象へ残るのって、
- 地球の話をするシーン
- 海について話すシーン
- ディアナの子供っぽい動き
- 何気ないやり取り
- 親子のような関係性
みたいな部分でした。
だからこそ、もし続編があるなら、
「戦いのあと」も見てみたい。
例えば、
- 海の見える場所で暮らす
- ディアナが地球文化を知っていく
- 料理を覚える
- 買い物へ行く
- 人間社会へ少しずつ慣れていく
みたいな描写。
めちゃくちゃ見てみたいです(笑)
特にディアナは、本編ではずっと特殊な環境にいました。
- 月面基地
- 研究体
- 戦闘
つまり、“普通の日常”をほとんど知らないんですよ。
だからこそ、もし地球編があるなら、
“日常そのもの”
が、ディアナにとって大きな経験になる気がしています。
そして、そういう穏やかな時間があるからこそ、逆に本作らしい切なさも強くなると思うんです。
「この子は俺の娘だ」と言うヒューを見てみたい
また、もし続編でヒューが再登場するなら、
“父親としてのヒュー”
も、めちゃくちゃ見たいです。
本編でも、2人の関係は完全に親子のようでした。
ヒューはディアナを守り、導き、生きてほしいと願っていた。
そしてディアナも、ヒューへ強く依存し、慕っていた。
ただ、本編では状況が過酷すぎて、
“普通の親子関係”
を築く時間はほとんどありませんでした。
だからこそ続編では、
- 少し不器用に接するヒュー
- 人間社会に戸惑うディアナ
- 親子みたいな会話
- 小さな喧嘩
みたいな、静かなやり取りも見たい…!
特に個人的に想像してしまうのが、
誰かにディアナについて聞かれた時、ヒューが自然に、
「ん…? ああ、この子は俺の娘だ」
と言うセリフ。
そしてその言葉を聞いた時のディアナの嬉しそうな表情――――。
みたいな?w
ヒューって、本編を見る限り、
“感情を大きく表へ出すタイプ”ではなかったです。
だからこそ、何気なく言ったその一言が、逆にかなり重くなるんじゃないかなと。
そしてディアナ側も、最初は意味を深く理解できていないかもしれない。
しかし少しずつ、
「家族」
という概念を理解していく。
この流れ、かなり本作っぽい気がしています。
ただし、最後は少し切ないぐらいが本作らしい
とはいえ、個人的には、
“完全な幸せ”
にはならない方が『プラグマタ』らしいとも思っています。
本作って、根本に強い“切なさ”がある作品です。
だから仮に続編でヒューが戻ってきても、
全部が綺麗に解決する感じではなく、
- 寿命
- 存在の違い
- 人間社会との距離
- ディアナの孤独
みたいな問題は、最後まで残り続ける気がしています。
でも、それでいいと思うんです。
むしろ本作って、
「問題が消えること」
ではなく、
“それでも生きようとすること”
を描いていた作品だと思うので。
だからもし最後に、
少し不安や切なさを残しながらも、2人が一緒に空や海を見ている。
そんな終わり方になったら、とても本作らしい気がしています。
そして個人的には、そのぐらいの温度感の方が、『プラグマタ』という作品には似合っていると思っています。
――――
なお、本作はクリア後に
「unknown signal」や真エンド要素なども解放されます。
こちらについては以下の記事で解説しています▼
→ プラグマタ 真エンディング考察|「今日はお1人なんですか?」が意味するもの
まとめ|プラグマタは“その後”を想像したくなる作品だった
プラグマタをクリアして感じたのは、
本作は“余白”の作り方がかなり上手い作品だったということです。
物語としては一応完結しています。
エイトの暴走は止まり、ディアナは地球へ辿り着き、ヒューは彼女を送り出した。
しかしその一方で、本作はあえて、
「この先どうなるのか」を明確には描いていません。
だからこそ、プレイ後に様々な想像ができる。
特に大きいのが、やはりディアナの存在です。
彼女は単なるAIでも、単なる人間でもありません。
感情を持ち、人間らしく成長していく一方で、
“普通の人間にはなれない存在”として描かれていました。
だからこそ、
- 地球でどう生きるのか
- 誰と出会うのか
- 社会へ受け入れられるのか
- 孤独をどう乗り越えるのか
など、ラスト後に気になる部分が非常に多い。
そして、その余白があるからこそ、
「続編が見たい」と思わせる作品になっている気がします。
また、本作は単なるSFアクションではなく、
- 感情
- 孤独
- 不完全さ
- 親子関係
- 存在の境界
などをかなり丁寧に描いていた作品でもありました。
だから個人的には、もし続編があるなら、
“世界を救う話”
というより、
“感情を持った存在がどう生きていくのか”
を、さらに深く描いてほしい気持ちがあります。
特に、
- ディアナと地球社会
- デルフォイ社の思惑
- ヒュー生存の可能性
- デッドフィラメントとの共存
- 人間と機械の境界
などは、かなり続編向きのテーマに感じました。
そして何より、本作って、
“完全な救済”
よりも、
“それでも前へ進もうとすること”
を描いている作品だと思います。
だからこそ、ラストでディアナが言った、
「私、やってみる…!」
という言葉が強く印象へ残る。
あのセリフは、戦闘中の掛け声ではなく、
「孤独や不安を抱えながらも、それでも生きていく」
という決意そのものだったように感じました。
そして個人的には、その続きを、もう少し見てみたい。
『プラグマタ』は、そんなふうに“その後”を想像したくなるSF作品だったと思います。


